皆さま、こんにちは!
本日は前回の記事の続きで、
空母について考えていきます。
日本ではなぜ空母を持たないのか?
その理由を考え、現在の我が国の防衛事情について
考えを巡らせたいと思います。
●我が国における空母の歴史
第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間に
航空機は目覚ましい進歩を遂げました。
そして、
旧日本海軍は「空母」の新造を決めました。
戦闘航空機を運用するための「空母」については
当時どの国も試行錯誤の状態でした。
その中、日本でも手探りでの建造でした。
ここで誕生したのが、
1922(大正11)年12月27日に竣工した
旧日本海軍空母「鳳翔(ほうしょう)」です。
「鳳翔」は、真珠湾攻撃などで
艦載機による広い攻撃範囲と柔軟性、そして桁違いの
展開速度を世界に見せつけました。
そして、
太平洋戦争は空母が海戦の主役になっていきました。
旧日本海軍は、太平洋戦争開戦時には空母を9隻
保有していました。
しかしながら、
1944年(昭和19)年6月19日の「マリアナ沖海戦」で、
空母3隻を失いました。
そして、
1944(昭和19)年10月23日からの「レイテ沖海戦」では、
空母4隻をおとりとして用いて損耗すると、
以後、旧日本海軍は空母部隊を編成することができなく
なってしまいました。
こうして、最初の空母「鳳翔」とそれに続く空母たちは、
第二次世界大戦で「空母の時代」を築きますが、
そのほとんどは戦没してしまいます。
生き残った「鳳翔」は戦後、復員船として活躍しました。