2019年5月20日月曜日

わが国における空母の歴史

皆さま、こんにちは!

本日は前回の記事の続きで、
空母について考えていきます。

日本ではなぜ空母を持たないのか?
その理由を考え、現在の我が国の防衛事情について
考えを巡らせたいと思います。

●我が国における空母の歴史

 第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間に
 航空機は目覚ましい進歩を遂げました。
 
 そして、
 旧日本海軍は「空母」の新造を決めました。
 
 戦闘航空機を運用するための「空母」については
 当時どの国も試行錯誤の状態でした。
 その中、日本でも手探りでの建造でした。
 
 ここで誕生したのが、
 1922(大正11)年12月27日に竣工した
 旧日本海軍空母「鳳翔(ほうしょう)」です。

 「鳳翔」は、真珠湾攻撃などで
 艦載機による広い攻撃範囲と柔軟性、そして桁違いの
 展開速度を世界に見せつけました。
 
 そして、
 太平洋戦争は空母が海戦の主役になっていきました。
 
 旧日本海軍は、太平洋戦争開戦時には空母を9隻
 保有していました。
 
 しかしながら、
 1944年(昭和19)年6月19日の「マリアナ沖海戦」で、
 空母3隻を失いました。
 
  そして、
 1944(昭和19)年10月23日からの「レイテ沖海戦」では、
 空母4隻をおとりとして用いて損耗すると、
 以後、旧日本海軍は空母部隊を編成することができなく
 なってしまいました。

 こうして、最初の空母「鳳翔」とそれに続く空母たちは、
 第二次世界大戦で「空母の時代」を築きますが、
 そのほとんどは戦没してしまいます。
 生き残った「鳳翔」は戦後、復員船として活躍しました。